私は、1970年代後半のエルヴィスが大好きです。大きな山や深い谷が彼を取り囲んでいたからこそ、ハードなアクションでかっこよくキメていた数年前までのエルヴィスよりも、ずっと深みがあり、ずっと余裕があり、ずっとずっとセクシーで、でも昔からの可愛らしさはそのままな、そんなエルヴィスができ上がったのだと思っています。

しかしながら現在、公式ルートを通して表舞台に現れるのは、せいぜい1973年のハワイ・スペシャルが限度、それ以降の映像は殆ど未公開の状態です。少なくとも1977年6月には、CBSテレビが正式にコンサートの模様を収録しているはずなのですが、正式には公開されていません。結局、私の大好きな1973年以降のエルヴィスに会いたいときは、画質・音質は我慢して、当時のファンが撮影・録音したものに頼るしかありません。

さいわい、当時アメリカではコンサートの撮影等が特に厳しく禁じられていなかったのか、多くのファンがエルヴィスの真ん前に立ちはだかってカメラやビデオを撮っており、エルヴィスも全く気にしていない様子です。時には歌っているポーズのまま、カメラ目線で静止してあげたりもしています。これらのフィルムには、TV・映画撮影時とは違ってメイクもせず、カメラをほとんど意識していない普段のエルヴィスのステージが残されています。



 私は、エルヴィスのレコーディングやステージにおいてのこぼれ話であれば大歓迎しますが、プライベートや本人の心境などについてはヴェールがかかったままであるべきだと思っています。なぜなら、本当のそれを語ることができる彼は、結局、口を閉ざしたまま去ってしまったのですから。

しかしながら、エルヴィス亡き後、事実上彼の元に戻ってきた元妻や、エルヴィスに関する権利を有する各社は、どうしても理想のエルヴィス物語を世に知らしめたいようで、エルヴィスに関する本やドキュメンタリーやCD・DVDの解説は、その多くがプライベートに関する記述ばかりです。それらによると、エルヴィスは自身の不貞が理由で最愛の妻と離婚することになり、それが原因で自暴自棄になり、合法だが不必要なほど強い薬物を乱用し、その結果、晩年は昔のようなまともなショーができなかった、と言われています。



 確かに晩年のエルヴィスは、若い頃に比べかなり身重になっていますし、アップテンポな曲をハードなアクションとともに歯切れよく歌うことも少なくなりました。でもそれは、単に人間として年を重ねたからではないのでしょうか。他のアーティストの何十倍もの駆け足で活動していたために、心身ともに疲れきっていたからではないのでしょうか。 いずれにせよ、非公式な映像や音源で確認する限り、エルヴィスは最後の最後まで、自分のステージを心待ちにしていた観客達を喜ばせることに精一杯努めています。

公式なエルヴィス関連の各社としては、1950年代に世界をひっくり返したキング・オブ・ロックンロールが、いつまでも、ファン以外の誰の目から見ても、若く、美しく、華やかなパフォーマーであって欲しいのでしょう。エルヴィスが去ってからいくつもの時代が過ぎ、社会も音楽界もすっかり様変わりした現在、いまどきのアーティストに対抗するには晩年の人間臭いエルヴィスではダメだと思っているのでしょう。そして、彼が歌ってきた数千の歌と同じように、彼もまた、愛を失った哀しみに明け暮れるドラマティックな生涯を送ったのだという伝説を広く世に知らしめたいのでしょう。

もちろん、それらとは異なる意見の人々もいます。エルヴィス自身がステージ上でファンに「親友」と紹介していたチャーリー・ホッジは、エルヴィスの薬の服用は享楽のためではなく、実際に強い薬が必要なほど痛みを伴う重篤な病気であったと証言していましたし、エルヴィスのお抱えだったという医師は、エルヴィスは離婚によって自尊心を深く傷つけられたが、彼の苦悩の多くは、体調を無視した過密スケジュールと、完全に自由を失った毎日にいい加減嫌気がさしていたことだ、と語っているそうです。



 どれも真実かも知れないし、全部ウソかも知れない。結局は、自分の目で見て自分の耳で聞いた、いつものエルヴィスの、いつものパフォーマンスだけが、私たちファンにとっての「本当のエルヴィス」なのです。76〜77年の非公式映像を見ていると、レンズ越しではありますが、そこには何とも気取らないエルヴィスの真実の欠片がたくさん残されています。

ジャージ姿で車から降り、コーラスの女の子に声をかけ楽屋へ。真っ先に鏡の前に立ち、チョイチョイと髪を直したり、ポンポンと軽く飛んでみた後、更衣室へ。来場している数千人のファンのため、今日も暑くて重くて動きにくい「キング」の衣装を身にまとい、緊張した面持ちで出番を待つ。

ステージに上がると割れんばかりの歓声に迎えられ、ステージ中央へ。バンドの立ち位置である一段高くなっている部分に差し掛かると、いつもリズム・ギターのジョン・ウィルキンソンが、つまずかないよう注意しろよと足元を指をさす。ステージの端から端までゆっくり歩いて回り、今日はどのくらい来ているのかなと客席を見渡す。鳴り止まない拍手と歓声を背に、助っ人チャーリー・ホッジにギターをかけてもらう。そして、いつものようにスタンドマイクを傾けて歌いだす。

ファンへの挨拶は、いつも「こんにちは、私はオリビア・ニュートン・ジョンです。」など他のアーティストの名前で切り出し、「あとで、あっちにも、そっちにも、こっちにも行きますからね。」と、ステージの真横や真後ろに座っているファンにもサービスを約束。

約束どおり、≪ラヴ・ミー≫や≪テディ・ベア〜冷たくしないで≫、≪ハウンド・ドッグ≫等ファンサービス・タイムの曲になると、オーケストラの後ろの行ける所まで行き、辺鄙な席のファンにもスカーフを配る。ファン達がスカーフの取り合いでケンカになったり、握手を求めて身を乗り出し2階席から落ちそうになるのは毎度のこと。エルヴィスは「ベイビー、気をつけて」「落ち着いて、ハニー」となだめながら、事態がこれ以上深刻にならないよう、一旦その場を離れる。

ファンが自分のために差し出すプレゼントは、バンドとの間合いを考え素早くチャーリーに渡すこともあるけれど、できるだけ一つ一つに反応を示す。一輪の薔薇を受け取ったら口にくわえてポーズをとってみたり、大きなぬいぐるみを受け取ったら木馬のようにまたがってみたり、セクシーなランジェリーがステージに投げられたときには拾って頭に乗せてみたり…

≪心の痛手≫のように自分の持つ一番太くて高い声を出す最大の見せ場では、こんなこともできるよ、と、わざわざステージの上に寝転んで歌ってみる。マイクを持つために横にピッタリくっついて立っているチャーリーを相手に、野郎二人で≪今夜はひとりかい?≫を演じてみる。プログラム通りの曲を歌っていても、その日の気分と違っていれば、平気で途中で止めてしまう。代わりに、その時の気分にピッタリな歌を、思い出したように突然歌いだす。

エンディングは毎回、「またこの地に帰ってきます。また会う日まで神のご加護を。」で締めくくる。全ての曲目が終了すると、登場したときと同じように、ステージの端から端まで歩き、エルヴィス独特の「お辞儀」でご挨拶。最後にステージ中央で軽く空手のアクションを見せて、進行方向を指差しながら帰っていく。


(※上記は70年代後半のエルヴィスの「よくある行動パターン」を並べたものであり、特定のステージをレビューしたものではありません。)

 こうした晩年の非公式映像でのステージには、MGMが映画化したことで有名になった1970年8月のベガスのショーや1972年の南部ツアーで見られる通りの、何かにつけおどけて見せたり、時には悪ノリしたり、ショーの最中にマイクで遊び、ロレツが回らず自分で頬っぺたを叩く、紛れもなくあの頃と同じエルヴィスがいます。

時々日本のWEBサイト上でも、「晩年のエルヴィスはドラッグの影響で奇行が目立ち、まともにステージをすることができなかったらしい」という噂も見かけます。それらは多分、上記の通りの好き勝手な彼のステージを初めて見聞きした人々が、現在の「エルヴィス伝説」の固定観念もあって、「確かにこれは尋常じゃない」と思ったことから流された噂でしょう。

若い頃から仲間達の間で『クレイジー』と呼ばれていたエルヴィス。70年8月のベガスのショーでは、「初めて私を見た人は狂っていると思うことでしょう…私は昔からそう思われていたんです(笑)」と本人自ら語っています。『エルヴィスの奇行』は晩年に始まったことではありませんね。



 そんなエルヴィスの最高にドラマティックなエピソード、皆さんはご存知ですか?

1977年6月26日、インディアナポリス。エルヴィスは、新調したての3着目のメキシカン・サン・ダイヤル・ジャンプスーツを身に着け、ステージに立ちます。バック・ミュージシャンの衣装はお馴染みの黒、男性コーラスのJ.D.やショーンは相変わらず派手な衣装で、エルヴィスのスカーフはいつもと同じくカラフルです。この数日前に収録されたCBSスペシャルに見られるように、エルヴィスのスカーフとバンドの衣装を白で統一するなど、特に演出が施された様子はありません。

この日のドラムスは、エルヴィスご自慢のロニー・タットではないため、エルヴィスは少し心配そうに後ろを気にしており、時々「いいよ、それでいいよ」と声をかけます。エルヴィスとロニーの息の合った見せ場となるはずの場面では、リード・ギターのジェームズ・バートンらお馴染みのメンバーが助け舟を出します。

けれど、この日のフィナーレは、いつもと少し違っていました。

エルヴィスはこの日、いつもよりほんの少し長く、ファンに挨拶をします。いつも以上にゆっくりとステージを歩き、客席の隅から隅までを見渡そうとします。そして、ステージの下手側のファンに挨拶をしたついでに、隅に置いていた自分のスタンドマイクを愛おしそうに撫でるのです。最近は控えめになっていた退場前の空手のアクションも、この日ばかりは時間をかけて派手にポーズを決め、しばし静止した後、思いきったように勢いよく駆け出します。そして、永遠にステージを去るのです。




 これが、エルヴィスのラスト・コンサート。わざとらしい演出は一切なく、奇跡のように完璧なショーでもない。いつものメンバーと、いつものエルヴィス。いつもの曲目で、いつものコンサート。いつものように「またここに帰ってきます」と約束しているけれど、エルヴィスは、まるでこれが最後と知っているかのようでした。

でも、歌に生きたエルヴィスのラスト・コンサートの様子は、少なくとも日本では大して有名ではないようです。WEB上にも、エルヴィスを特集した本にも、関連がありそうな最後のライブ盤≪エルヴィス・イン・コンサート '77≫の解説にも、今のところ、どこにもこのエピソードを目にしていません。



それよりも…

エルヴィスの若い頃はどんなに格好良かったか、エルヴィスがどれだけ年をとったか、エルヴィスがどれだけ太ったか、エルヴィスはどんな薬を乱用していたのか、エルヴィスは高級車を何台持っていたのか、エルヴィスは離婚でどれほどの痛手を受けたか、エルヴィスの恋人は何人いたのか、エルヴィスはどのくらい横暴だったのか、エルヴィスが一番愛した女性は誰なのか、エルヴィスは何の病気だったのか、エルヴィスの死因は何だったのか、エルヴィスの遺産はどのくらいあったのか、エルヴィスの遺言書には何と書いてあったのか…



 当時のエルヴィスと親交のあった人々や、現在エルヴィスに関する権利を有する人々が、プライベートを絶対に公表しようとしなかったエルヴィスをもう少し尊重したとすれば、エルヴィスのプライベートにばかり焦点をあてた暴露本や証言集が、こんなにも大量に出回らないはず。そして更に彼らが、晩年の映像や音源もありのまま公開すれば、こんなにも人々の誤解を招くこともないはず。

 最後の最後まで、観客や大好きなバンドのメンバー達とふざけ合い、じゃれ合って楽しみながら、好きな歌を好きなように歌おうとしたエルヴィス。これからはアーティストとして、その音楽性を最前面に語られるようになれば、本人も喜ぶのではないでしょうか。…と思うのは、私の独り善がりでしょうか。



2007年6月26日
Play more! ELVIS 管理人






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